リウマチ患者の和ごころ

心理カウンセラーであり、プロのリウマチ患者(笑)でもある桧蕗子のブログです。生きづらさを抱えている人が少しでも前を向けるよう、寄り添います。

ブログお引っ越ししました。

今年1月からブログを始めておりましたが、本日、アメブロへお引っ越ししました。(下記リンク参照、過去記事も引っ越し済みです)

 

こちらのブログも2021年7月末日までは残しますが、最新記事等はアメブロにてご確認いただけますと幸いです。

 

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配慮不足が人を傷つけることもある

まわりの人への気配り、あなたは出来ていますか?

 

落ち込んでいる人、頑張っている人に声をかけたり、労ったり。

 

関係者が集まっているのに来ていない誰かがいたら、連絡したり。

 

誰かが亡くなったとき、あとで聞いたら「もっと早く教えてくれれば良かったのに!」となる可能性がある関係者には一報入れたり。(慶事はあとでいくらでも祝えますが、弔事は個人宅までわざわざ押しかけられないですから…)

 

結局、これも、相手の立場に立って物事を見たり考えたりできるか?なんですよね。

 

実は、私、驚きの経験をしたことがありまして。

 

以前勤めていた職場を辞めた時、「急ぐので早くください」とお願いしていた書類があって、いつでも取りに行けるようにスタンバっていたんですが、何を思ったのか、その担当者は土曜日にポスト投函し、台風接近のために数日間集荷されず(ポストには、その旨の貼り紙がしてありました)、我が家に届いたのが翌週水曜日、ということがありました。

 

土曜日に電話してくれたら、即日取りに行けて、月曜日には手続きに使えたのに、ですよ。

 

こちらは急ぐと言っていたし、お願いしてあったのがベテランさんだから大丈夫だろうと信じていたのに。

 

自分だったら、とりあえず電話して、「急ぐっておっしゃってましたけど、取りに来られます?郵送で構わないです?」と本人の意向を確認します。

 

あの経験のおかげで、こういう配慮不足って、「自分が大切にされていない」と思わせるのに十分なんだな、と思い知りました。

 

もしかしたら、その人から嫌われていたのかもしれませんが(笑)、仕事は仕事で、個人の感情は関係ない気がしますけどね…。

 

その職場、在職中、退職後問わず、ほかにも驚きの対応をたくさんしてくださいました。関わっていた人は複数名だったので、「こんなに配慮できない人たちの中で働いてたのか」「自分が当たり前だと思っていたことが当たり前じゃない世界だったんだなぁ」と呆気に取られました。

 

配慮することで人を救うこともあれば、配慮不足で人を傷つけることもあります。

 

相手の立場で考えた時、何が良いことで何が悪いことなのかもまた、本人に確認するしかないんですけれども。

 

さて、あなたは気配りできていますか?

コミュニケーションの難しさ

あなたはコミュニケーションが得意ですか?それとも、苦手ですか?

 

私は苦手です。

 

「えっ、カウンセラーなのに!?」という声が聞こえてきそうですが、苦手なものは苦手なんです。苦手だから、学び続ける必要があると思っています。

 

カウンセリングやコーチング等のセッションって、結局、コミュニケーションのうちの一部だと思うんですよね。

 

相手が何をどう考え、感じ、今どういうことで悩んでいるかを紐解いていくのがカウンセリング(マイナスからゼロへ)であり、そこから目標達成するためには何が必要で、どう行動していくのかがコーチング(ゼロからプラスへ)だと私は認識しています。

 

「心理学なんかで何も変わるわけがない」と言っている方は、心理学とコミュニケーションが無関係だとでも思っているんでしょうか。

 

以前、大森健巳さん(アンソニーロビンズと共にセミナーを行った唯一の日本人パートナー)がセミナーか講座の中で、「経営者は、お金をかけてでもコミュニケーションを学んだほうが良い」と仰っていましたが、それだけ、人間は複雑な生き物で、人間の中で生きている我々にとって、コミュニケーションはお金を払うだけの価値があるということです。

 

「心」はコロコロ変わるものですし。

 

今まで出会った人たちの中にも、「この人、コミュニケーション苦手なんだろうな」と思う人はたくさんいます。30代以下の若い人たちはともかく、40代以上でも、人の話を聴けない、自分のことばかり話す、相手の気持ちを無視して押し付ける、相手の気持ちを考えずに暴言を吐く、等々。

 

上司や先生、親に相談に行ったら、いつの間にか、その上司や先生、親が一人でベラベラしゃべっていたとか、説教が始まったとか、求めてないのにアドバイスのオンパレードになったとか、経験された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

相談された側は、まず相手の気持ちを理解することが先なのに、「考えすぎじゃない?」の一言で済ませていませんか?相談する側がそう感じているのなら、第三者的にそう見えていなくても、その事実は存在するんです。

 

イジメやハラスメントは言うまでもありませんが、会社で優秀な人が「居場所がない」と辞めていくケースも同様です。

 

コミュニケーションを取ってる「つもり」もまた、気を付けたほうがいいかもしれません。

 

そもそも、昔々、男性は狩りをしていて、女性は集落でコミュニケーションを取りながら生活していたので、基本的に女性の方がコミュニケーション能力が高いものです。

 

男性側からしてみれば「ある日突然、離婚を切り出された」かもしれませんが、女性側からしてみれば、「長いことコミュニケーションを取れていないから当然」かもしれないわけです。

 

コミュニケーションは必要不可欠なのに、難しいものですよね。

その言葉の認識、合ってますか?

私は語彙力がないので、色んな事柄を同じ単語で表現します。

 

芸人さんの漫才を見たとき、「面白い」

 

誰かが興味深いことを言ったとき、「面白い」

 

予想外の出来事が起こったとき、「面白い」

 

実家で飼ってる犬が触られるのを嫌がって暴れるとき、「面白い」

 

よく考えてみると、「すごい」も多用します。

 

私の語彙の少なさは、人から誤解される原因になっているんじゃないかと思ったこともありましたが、実は、メラビアンの法則によると、コミュニケーションにおいてバーバルコミュニケーション(言語によるコミュニケーション)は、たったの7%、ノンバーバルコミュニケーション(非言語によるコミュニケーション、声や動作・表情など)は実に93%を占めるのです。

 

それだけ、コミュニケーションを取る上で、言語以外の情報はものすごく大切なものです。

 

じゃあ、言語はないがしろにしていいんですね、という話かというと、そうではありません。

 

自分が一番認められたい人から、否定されるような言葉を投げかけられると、ものすごく傷付きますよね。

 

今はSNS上でしかやり取りをしない人もいる時代で、そういう人たちにとっては言語以外の情報がないので、やはり言語は大切なツールだと思います。

 

気を付けていただきたいのは、相手が言っている「面白い」と、自分が言っている「面白い」が同じものを指してるのかどうかです。

 

これ、相手に確認しないと分からないんですよね。親子であっても、夫婦であっても、恋人であっても、上司・部下であっても。どんなに価値観・考え方が近くても、自分は相手と違う人間なので。

 

相手が何を思って、どういう気持ちで、その言葉を発しているのか。

 

相手の言葉を自分の価値観・考え方だけで判断すると、望んでいない結果を生み出すこともあります。

 

だから、相手を理解したいと思えば思うほど、話し合う時間が必要になります。「こう言ってたから、こうなんだろう」では、あまりにも安直すぎます。人間は、そんなに単純ではないと私は思います。(単純な人もいるかもしれませんが…)

 

自分が理解したくてor理解されたくて話し合いを求めても、相手にその気がなければ、それまでのことですが。 

 

せめて、自分が大切に思っている人とは、共通の認識を持ちたくないですか?

自己開示はしたほうが良い?

自己開示とは、自分の主観的世界や自分に関する情報について、他者に言語を介して伝える行為です。(自己開示 | 心理学用語集サイコタムより)

 

簡単に言えば、自分の考えや気持ち、経験談などを正直に他の人へ伝えることです。

 

恋人と別れ話をするとき、「あなたのことはもう好きじゃないの」「他に好きな人が出来たんだ」と言うのも、仕事でミスをした部下に「自分も若い時に似たようなミスをしたことがあって…」と話すのも、自己開示です。

 

相手との信頼関係を築きたいのであれば、自己開示はしたほうが良いと思います。

 

例えば、尊敬している上司から「実は今、こういう問題を抱えていて、どう対処したらいいだろうか」と言われたら、嬉しいし、微力ながらもアイディアを出したり、その上司のために何が出来るかを考えたりしますよね。

 

仲良くなりたいけど自己開示はしたくない!というのは虫がいい話で、そういう場合、相手もなぜか壁を作ってしまうものです。

 

逆に、相手と深く関わりたくないのであれば、もしくは、相手のことが信用できないのであれば、自己開示をする必要はないでしょう。

 

自分が自己開示をしていないのに相手からの自己開示を求めるのは、レジで精算していないパンをその場で食べるような行為に似ています。

 

…えっ?たとえが分かりづらい???(;・∀・)

 

ネットで商品を注文して、前払いじゃないと送らないよ、というのに似ています。

 

これでどうだ!と思いましたが、ちょっとピンと来ないですねー(笑)。

 

事務的に処理する必要があるとき(役所関係や警察、弁護士等)は、窓口で対応してくれた職員を信用しているというよりは、そのバックにある組織・職務に対しての信用なので、自己開示が一方的になる場合があります。

 

また、カウンセラーやコーチング等、人の心を深く扱う人たちにとっては、信頼関係がないと始まりませんから、何らかの形で自己開示する必要が出てくるでしょう。

 

もし、あなたが今、この人ともっと仲良くなりたいな、と思う人がいたら、ぜひ自己開示してみてくださいね。(相手が忙しい時、初対面の時は要注意!)

親切は押し売りするもの?

親切とは、「相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。」(親切とは - Weblio辞書)です。

 

良かれと思ってやっていることが、実は、「相手の身になって」いないことがあります。

 

いわゆる「親切の押し売り」です。

 

例えば、目の前に、手に障害を持っている人がいたとして、ペットボトルのフタを開けるのに手間取っていたら、あなたならどうしますか?手に障害を持っている人は、あなたにとって見ず知らずの人とします。

 

1.何も言わずにペットボトルを取り上げ、フタを開けてあげる。

2.何も言わずに、そっと見守る。

3.「開けましょうか?」と声をかける。

 

私があなたに選んでいただきたいのは「3」です。

 

「1」の場合、もし、その人が「ペットボトルのフタを開けるのもリハビリのうちだ」と考えていたら、貴重なリハビリの機会をあなたが奪ったことになります。

 

「2」の場合、もし、その人が「自分からは『開けてください』って言いづらいし、どうしよう」と思っていたら、不親切極まりないですよね。

 

「3」の場合、どちらでも対応できるわけです。「いえ、自分で開けられます」「ありがとうございます!助かります!」

 

「相手の身になって」、相手が望んでいることをすれば「親切」だし、相手が望んでいないことをすれば「親切の押し売り」になるわけです。

 

もちろん、今回は「見ず知らずの人」という条件を付けましたので、その人との関係性に応じてかけるべき言葉は変わってくると思いますが、障害者にとって「何かお手伝いしましょうか?」の一言は、ものすごく嬉しいものです。

 

さて、では、これは障害者と健常者の間だけに起こることでしょうか?

 

答えは「No」です。

 

どんな人であっても、相手が望んでいることをすれば「親切」だし、相手が望んでいないことをすれば「親切の押し売り」です。

 

頼まれてもいないのに「これはこうしたほうがいいよ」とアドバイスしたり、その人が望んだわけでもないのに「あなたに配慮して連絡しなかった」と勝手な判断をしたりしていませんか?

 

良かれと思ってやっていることでも、相手にとって何が良くて何が悪いのかは、本人に聞いてみないと分からないことです。

 

人それぞれ、価値観も考え方も違うわけですから。

 

かくいう私も、良かれと思ってやっていることが、もしかしたら相手の迷惑になっているかもしれないなぁと思うことはあります。

 

ですから、時々、考えてみませんか。親切の押し売りになっていないかどうか。

人間関係と波長の法則

「波長の法則」、スピリチュアルな世界に興味のある方にはお馴染みの言葉ですね。そういう世界には興味ないよー、という方も、「類は友を呼ぶ」という言葉はご存知なのではないでしょうか。

 

人間誰しも、良い時もあれば悪い時もあるわけで、その振り幅に重なる人としか出会わないようになってるらしいです。

 

自分が最悪な状況、相手が最高の状況で、良からぬ人と出会うこともあれば、自分が最高の状況、相手が最悪の状況で、とてつもなく素晴らしい人と巡り会うことも出来るわけです。

 

自分がどんなに相手のことを大好きで、会いたいと思っても、自分だけがステージアップをし続けていたら、タイミングは合わなくなるものだと思います。逆もまた然りです。

 

波長が合わなくなると、お互い、考え方も価値観も理解できなくなり、恋人だと別れ、伴侶だと離婚、同僚だと転職ということになるのでしょう。友達だったら、会わなければ済む話ですね。わざわざ絶交なんてする必要もないんです。

 

波長が合うと、初対面なのに初対面とは思えないほど打ち解けられたり、数回しか会ったことがないのに、まるで長年の親友のように感じられたり。会って数回で結婚を決める方はこちらでしょう。

 

それでは、一回、波長が合わなくなった人とはもう二度と会えないのかというと、そうではありません。

 

歳月は必要になるかもしれませんが、また波長が合うようになったら、ご縁は出来ます。街中で偶然バッタリ出くわしたり、何かの拍子で一緒に遊ぶようになったり、一緒に働くようになったりするものだと思います。

 

どっちが高い状態で、どっちが低い状態か。

 

それが簡単に分かれば早いですが、波長は目に見えるものではないので、そのあたりはあまり気にする必要もない気がします。

 

相手の方が低いと思っていても、相手はひそかに陰徳を積んでいるかもしれません。相手の方が高いと思っていても、相手はひそかに不平不満や悪口、ごみのポイ捨てのオンパレードかもしれません。

 

私たちは、ただ、自分の状態に目を向け、目の前の人を大切にすれば良いと思います。

 

大好きな人と縁遠くなってしまっても、「いつか、また会える」と信じることで、少しは明るい気分で過ごせませんか?