リウマチ患者の和ごころ

心理カウンセラーであり、プロのリウマチ患者(笑)でもある桧蕗子のブログです。生きづらさを抱えている人が少しでも前を向けるよう、寄り添います。

「べき」「ねば」の呪い

あなたは「~すべき」「~せねば(しなければ)ならない」と思っていませんか?

 

これって、自分の心が苦しくなる思い込みなんです。

 

真面目な人ほど、「べき」「ねば」が多い生活を送っている気がします。

 

かくいう私も、いまだに「べき」「ねば」が多いと自分では思っています。

 

前職を辞めたのは、それも一因になっています。「上司は部下の悩みを理解するように努めなければならない」「事業所は従業員がやりがいを持って働けるよう、改善できる部分は改善すべき」「障害があることを理由に差別してはならない」等々。

 

…ん?私が思い込んでいたものって、当たり前じゃないんですかね?(←これを当たり前だと思っているのも「思い込み」です)

 

上司が部下の悩みを理解しない(できない?)のも、事業所側が改善すべき点を改善しないのも、障害がある人を「配慮」という名目で排除するのも、実は私の問題ではないんです。

 

もちろん、当時の私は悲しかったし、悔しかったし、深く傷付きました。腹立たしさも覚えました。

 

けれど、今になって思えば、私は、悲しむ必要も、悔しがる必要も、傷付く必要も、怒る必要もなかったわけです。

 

なぜなら、上司に私の気持ちを理解するだけの度量や器量がなく、私が問題だと思っていた部分を事業所側が問題だと捉えておらず、障害者を同等の人間であると思わない健常者が一定数いるだけの話(好奇の目にさらされることもありますし、10年ほど前でしたか、私が障害者だと分かった時点で相手が豹変し、罵詈雑言を浴びせられたこともあります)だからです。

 

良い・悪いではなく、ただ、「へー、そうなんだ」で済ませれば良かったことなんです。

 

「べき」「ねば」を抱えていた私には、許せないことでした。

 

「許せない!」と思うのって、ツラくないですか?エネルギーを無駄に消費しますし。

 

家庭でも同じです。「子供は宿題をしなくてはならない」「旦那はゴミ出しをすべき」「母親だから家事全般を一人でやらなくてはならない」等々。

 

宿題をするかしないかは子供の問題だし、旦那さんが家事を手伝うか手伝わないかは奥さんの手腕にかかってるし(笑)、専業主婦じゃない限り、母親だけが全ての家事を担う時代はとっくに終わってます。

 

自分がやりたくてしてるのか、「べき」「ねば」の思い込みでしているのかは、精神的負担が全く違います。家庭内での役割が明確に決まっていて、納得しているならOKですが。

 

「べき」「ねば」を手放して見方を変えたら、今より少しは楽に生きられるようになるかもしれませんよ。