リウマチ患者の和ごころ

心理カウンセラーであり、プロのリウマチ患者(笑)でもある桧蕗子のブログです。生きづらさを抱えている人が少しでも前を向けるよう、寄り添います。

逃げるのは悪いこと?

今、何かの問題に直面してツライ思いをされてませんか?

 

「逃げたら、また同じような問題が起こるって聞くから、ちゃんと立ち向かって解決しないと」と思ってませんか?

 

もちろん、逃げずに我慢することを選んでいいし、解決するためにあの手この手を尽くして、それでも解決できなくて鬱々とした日々を送ることを選んでもいいです。

 

逃げるのは悪いことだと思うかもしれないけれど、別に逃げてもいいんです。

 

また似たような問題が起こったときに立ち向かって、どうしようもなくなって逃げて…の繰り返しでも良くないですか?

 

そんなことで、あなたの価値は変わりません。

 

あ、犯罪絡みと借金、病気からは逃げないほうが良いですよ(;・∀・)犯罪は言うまでもありませんが、借金から逃げると利子が大変なことになるし、病気から逃げると命を落とすことになるかもしれないので。

 

仕事・学校が原因で心や体を壊すぐらいなら、会社・学校を休むか辞める。パートナーや友達から非人道的な酷い扱いをされるなら、離婚するか別居する、その友達とは距離を置く。

 

何よりも大切にしなければならないのは、その問題ではなく、あなた自身だと思うんです。

 

自分が心身とも健康に、穏やかに過ごせるほうを選びませんか?

 

「いえ、私はどうしてもこの問題を今解決したいんです!」と言うなら、それはそれで良いです。

 

あなたの人生の責任を取ることが出来るのは、あなたしかいませんから。

 

でも、本当にツラくて、苦しくて、生きることを諦めようと思っているなら、少し立ち止まって考えて欲しいんです。

 

その問題には、あなたの命を懸けるほどの価値がありますか?

三角形の一辺は無関係

私がまだ若かりし頃(笑)、本か何かで「三角形の一辺は無関係」という言葉を知って衝撃を受けました。

 

アドラーの「課題の分離」と近いような気がしますが。

 

例えば、AさんとBさんとCさんがいて、

AさんとBさんとの間のことはCさんには関係ないし、

BさんとCさんとの間のことはAさんには関係ないし、

CさんとAさんとの間のことはBさんには関係ないんです。

 

当時、私の彼氏Aさんが、共通の友人たちとの飲み会(私も参加)を断って、Bさんたちとの飲み会に行くという話を聞き、それはもう悲しいわ腹が立つわで。

 

そんな時に出会ったのがコレでした。

 

つまり、AさんとBさんとの間のことは私には関係ないわけです。

 

関係あると思ってるから、悲しいし、腹が立つわけです。いわゆる「三角関係」ってやつですね。

 

実はBさんは女性でして、それゆえ、ややこしいことになってましたが、AさんとBさんが2人で飲みに行ったわけでもないし、先に約束をしていたらしいので、私は気にする必要がなかったんです。

 

仕事上でも、プライベートでも、もちろん親子関係でも同じことが言えます。

 

AさんとBさんの間のことにCさんがしゃしゃり出て行ったら、こじれる可能性は高くなります。言った、聞いてないの応酬になりかねないので、2人の間のことに介入するのは、2人ではどうにも解決できなくて、どちらかから頼まれたときだけにしたほうが良いと思います。

 

同性であれ、異性であれ、どういう関係性であれ、2人にしか分からない空気感みたいなのもありますしね。

 

気にしなくて良いことで一喜一憂してたら、時間がもったいないと思いませんか?

 

助けを求められない限り(DV問題は別)、温かく見守るのも愛情のうちかもしれません。

落ち込んだときは…

何かあった時、落ち込むのは悪いことではありません。

 

もう永遠に立ち直れないかもしれないと思うほど落ち込むことって、よっぽど自己肯定感が高くない限り、誰しも一度ぐらいは経験があると思います。

 

「なんであんなことをしてしまったんだろう」「なんで違う言い方が出来なかったんだろう」「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないの!?」等の後悔を伴うものだったり。

 

大切な人との別れや大病を患ってしまった等の、不可抗力なものだったり。

 

人生のステージが変わる時、そのままの自分では太刀打ちできないことに導かれている時、神様・仏様・ご先祖様は自分の目の前から去ってしまったのかと思うほど理不尽な出来事が起こったりすることもあります。

 

「これ以上悪いことは起こらない、今が一番ツライ時期だ」と思っていた矢先に、更に衝撃的な出来事が起こることもあります。

 

もちろん最初はパニックになったり、自暴自棄になったりするかもしれません。いつになったら枯れ果てるんだろうと思うほど、涙がとめどなく溢れる日々を過ごすかもしれません。

 

泣きたいときは泣いていいし、怒りたいときは怒っていい。やる気が出ないときは無理に頑張らなくたっていい。

 

大事なのは、そこから何を学び、どう行動していくかです。 

 

助けてくれる誰かが周囲にいるなら、その人の力を借りるのも良いと思います。もし、その人があなたの力になりたいと思っているなら、あなたが頼ることで、あなたもその人もハッピーになれます。

 

助けてくれる誰かが周囲にいないなら、あなたは神様・仏様・ご先祖様からの期待を背負った人だと思います。「あなたはもう、周りからの手助けがなくても大丈夫」と信頼されているんだと思います。

 

よく聞く言葉ですが、「神は乗り越えられない試練は与えない」と言います。一瞬、「これって無理じゃない!?」と思えるようなこと、ものすごく頑張ってギリギリ達成できることを、神様はしれっと与えるんだそうですよ(笑)

 

達成できなかったとしても、そこから学べること自体に大きな意味があるし、「今はとても乗り越えられない」と判断したら、その問題をちょっと脇に置いても良いと思います。

 

大きくジャンプするためには大きく屈まなければならないように、人生においても、飛躍する時には落ち込むことが必要な場合もありますから。

 

いま落ち込んでいるあなたの心が少しでも軽くなりますように。

表現すること

私は自分を表現することが苦手です。文章なら、まだどうにかなると思っていますが、口頭で自分の思いを説明するのは極端に下手だという自覚があります。

 

幼少時より、しょっちゅう、父から「ギ(鹿児島弁で文句の意)を言うな!」と殴られたり蹴られたりしていたので、それも一因なのかなと。

 

母や姉、会社の上司からも「何が言いたいか分からない」と言われたことがありますし(笑)

 

話を聴いてくれる人、心を許した人に対しては饒舌(?)に話しますが、それ以外の大多数に対しては口数が少ないです。3人以上いる場では、必要性が感じられない限りは自ら進んで話しません。それゆえ、「自分が知っている自分」と「他人が知っている自分」が乖離してる気がします。

 

心から大切に思っている人には本当の自分を理解してほしい気持ちが強く、人間、いつ死んでもおかしくないと思うので、「相手に疎まれていない」という自信があるうちは、せっせと手紙やメール、LINEを送ります。(我ながら健気ですね…)

 

こんな私にコンプレックスを抱いていた時期もありましたが、今は「これが私」だと思っています。

 

口で説明するのが苦手だから、文章を書くことで人に伝えようと思った。

 

話し上手になれないから、聴き上手になろうと思った。

 

他人に理解されていなくても、自分が自分を分かってあげていれば、自分が自分の味方であれば、それで良いと思えるようになった。(こう思えるようになるまでは、自分ですら自分の敵だと思っていました)

 

上を見ればキリがないけれど、人は人、自分は自分。

 

拙い表現であっても、汲み取ってくれようとする人は必ずどこかにいます。

 

コミュニケーションには、バーバル(言語)コミュニケーションとノンバーバル(非言語)コミュニケーションが存在しており、後者で伝えられるのは実に93%だともいわれているので、話すのが下手でも、気持ちを込めれば、しっかり向き合えば、何かしらは伝わってるはずです。

 

もちろん、理解してもらおうと努力することも、伝わっていない気がしたら補足説明することも大切です。必要性を感じたら、話し方について学んでみるのも素敵だと思います。

 

けれど、あなたは今のあなたのままでいても良いんですよ(^^)

 

無理して他の誰かになろうとしなくても、あなたはあなたのままで、十分、魅力的で愛される存在です。

クレクレ星人とは分かり合えない!?

二週間ほど前、「与える人」と「奪う人」という記事を投稿いたしましたが、世の中には「クレクレ星人」も存在します。

 

私の中では、「奪う人(TAKER)」の最上級的な位置付けなんですが(笑)、同義語と考えるべきなのか…?

 

クレクレ星人って何なのよ!?という声が聞こえてきそうなので、この言葉を一度も聞いたことがない方向けにご説明いたしますと、何でもかんでも「ちょーだい(くれ)」という心構えの方でございます。

 

「そういう仕事してるんだったら、タダでやって」

「いいお店があったら教えて」

「これ、どうすればいい?」

「友達だから話聞いてよね」(こちらの状況を伝えても配慮せず)

 

などなど。

 

質問の場合、しっかり自分で色々考えた上でのことだったり、専門性が必要なことだったりすれば良いんですが、「それ、ちゃんと考えた?」「私に聞くのはお門違いじゃ?」ということを聞いてくる人って、たまにいるんですよね。

 

質問されたからには答えますが、しばらくして、再び似たような質問をされ、「以前、こうお伝えしましたよね?」と答えると、「そうでしたね!」って、何それ(;^ω^)記憶に残らないぐらいだったら聞かないで(笑)

 

とはいえ、自分が気付いていないだけで、もしかしたら自分もクレクレ星人になっているかも…!?という思いも無きにしも非ずですが。

 

私たちは学校で「みんなと仲良くしましょう」と教わりましたが、みんなと仲良くするのは到底無理な話です。人間だから、どう頑張っても合わない人、仲良くできない人は一定数います。

 

時間は等しく有限なので、不快な思いをさせられる人にいつまでも付き合い続ける必要はありません。

 

もし、あなたの身近にクレクレ星人が生息していて、あなたが少しでも不快な思いになるようなら、その人との関係性を見直して良いかもしれませんよ。

 

いきなり縁を切るとか、極端なことをすると敵が増えるかもしれないので、ちょっとだけ避けてみませんか。正面衝突するとダメージが大きいので、ちょっと避ける。

 

そうすると、きっと、あなたの人生の中に楽しい時間がちょっと増えると思います。

 

子供がいない方へ

ある程度以上の年齢の、特に女性にとっては、「自分には子供がいない」ことがコンプレックスになることがありますよね。

 

男性の場合、パートナーが若ければ何歳になっても望みはありますが、女性の場合、自分の年齢が大きく関わってきます。

 

もちろん、「自分には子供はいないけど、コンプレックスではない」という方もいらっしゃるでしょうし、それはそれで何も問題ありません。

 

コンプレックスになっている場合、おそらく、周囲の人が思うよりもずっと、心の奥深くに大きなトゲが刺さっている状態だと思います。

 

人知れず泣いた方もいらっしゃるかもしれません。

 

かくいう私も子供がいません。

 

私にとっては、結婚してないことよりも子供がいないことのほうが大きなコンプレックスになっています。(実際に口にしたことは一度しかないけど)

 

周囲で当たり前のように子供の話が出ると、顔では笑っていても、口では「かわいいですね」と言っていても、胸をえぐられるような、泣きたくなるような思いを何度も何度もしてきました。

 

「こんなに悲しい思いをしている人を目の前にして、よくそんな話が出来るな。この人たちは、こちら側の人間の気持ちなんて考えもしないんだな」と恨めしく思ったことも一度や二度じゃありません。

 

数週間前でしたか、かもあきさん(鴨頭明子さん)のYouTubeを見ていた際、かもあきさんが「子供がいない人は、子育てを通して学ばなければいけないことを前世までに終わらせた人だと思ってる」というような話をされており、そんな風に思ってくれている人がいることを知って、ものすごく、ものすごく、ものすごーく救われる思いがしました。

 

その言葉で私が救われたので、賛否両論あるかと思いますが、もしかしたら私と同じように救われる人がいるかもしれないと思い、記事にいたしました。

 

大丈夫ですよ、あなたは一人じゃないから。

命あること

つい先日、叔母のご主人が他界しました。

 

叔母は既に亡く、子供たちは進学や就職で県外に出ているため、一人暮らしでした。

 

以下は勝手な推測ですが、若かりし頃に空手をされていたこともあってか、おそらく、体力には自信があったんだと思います。体に不調があったとしても「これぐらい、少し休めば大丈夫」と過信した結果なのかなと。

 

優しさも厳しさも包容力もあり、叔母は素敵な男性と結婚したなぁと常々思っていたものです。

 

人の世は本当に儚いですよね。

 

朝、「行ってらっしゃい」と送り出した人が、その日のうちに無事に帰ってくる保証はありません。

 

夜、「おやすみなさい」と声をかけた人が、翌朝、いつものように「おはよう」と言ってくれる保証もありません。

 

「お疲れさまでした」「また会おうね」と言って別れた同僚や仲間、友人と二度と会えないことだってあります。

 

ある日突然、事故に遭うかもしれないし、天災に遭うかもしれない。通り魔に襲われる可能性だってあります。死に至る発作に見舞われたり、自殺したりする可能性も。

 

だから、私は、「この人と会えるのは最後かもしれない」「この人に気持ちを伝えられるのは最後かもしれない」と思うようにしています。

 

死ぬとき、後悔は最小限にしたいじゃないですか。

 

それだけ、生と死は隣り合わせだと思っています。

 

私にとって、死は怖いもの、避けたいものではなく、いつもそこにあるものです。むしろ、優しいもの、安らげるものだとすら思っています。死んだら楽になれるだろうな、と何度も何度も思ってきた人間なので。

 

よく聞く話ですが、死ぬ間際に後悔するトップ1は「あんなことしなければ良かった」ではなく、「どうしてあれをしなかったんだろう」だそうですよ。

 

あなたは大切な人に自分の思いを伝えていますか?やってみたいと思うことを、もっともらしい言い訳をして封じ込めていませんか?

 

もし、世界が明日終わるとしたら、あなたは今日、誰に会って何をしますか?